2025年


ーーー12/2−−−  蕎麦の太さ


 
この夏に出産里帰りで滞在していた次女。時々神戸から旦那が来て一緒に過ごすことがあり、手打ち蕎麦を振る舞った。食べ終わった後、誰からともなく「ずいぶん細いね」という言葉が聞こえた。蕎麦の太さのことである。私は、「このところ、だんだん細く切る傾向になっているんだよ」 と答えた。

 蕎麦を切るのは、けっこう難しい。初心者の頃は、うどんのように太くしか切れなかった。経験を重ねるうちに、少しずつ細く切れるようになった。そうなると、細く切るのが技量の証しのような気になった。また、打った蕎麦を誰かにあげると、「ずいぶん細く打てるんですね」などと褒められる。それで、いつの間にか、細切りを追求するような習慣が身に付いてしまった。

 世間一般で見ると、蕎麦の太さは様々であり、1ミリ以下から数ミリまで、作り手の流儀によって違いがある。極細の蕎麦は、趣向を凝らした食べ方のジャンルに見られ、逆に極太の蕎麦は、田舎蕎麦など地域伝承のものに多い。そんな中で、あえて標準的な太さというものを定めるなら、江戸風の蕎麦の太さである1.3ミリということになろうか。生地の1寸を23回で切ることで得られる太さで、「切りべら23本」という業界用語がある。

 そういう知識はあったので、当初から1.3ミリを目指して練習をしてきたという経緯はある。実際に生地を切る機会は数日に一回しか無いので、毎日の練習は方眼紙とカーボンペーパーを使ってやった。「畳の上の水練」のようなものである。その練習では、おおむね1.3ミリで切る感覚を掴めるようになったが、実際に生地を切ると勝手が違う。ずいぶん期間を費やして、ようやく生地を細く切れるようになったら、目標の1.3ミリを通り越して、さらに細く切るようになってしまった。先に述べた「細切り至上主義」みたいなものがあったからである。

 話は戻るが、冒頭に述べた「ずいぶん細いね」という言葉に加えて、「蕎麦じゃないみたい」という感想も聞かれた。私自身、最近蕎麦を打つ際に、それが気になっていたと言えなくもない。しかし、普段は自分で食べるだけだから、それをことさら問題視することは無かった。ところが、身内とは言え、他の人の口からそのような感想を聞くと、「これで良いのか?」という気になった。

 私もこれまで、故意か偶然か、いろいろな太さに出来上がった蕎麦を食べてきた。そんな中で、1ミリ以下と言うような、あまり細いものは好みでなかった。箸で取って口に入れると、もっさりとした食感で、ツルツルとすすって口に運ぶ粋さが感じられないからである。その一方で、2ミリを越えるような太さのものは、ボソッとしてしなやかさが無く、やはり粋な感じがしない。

 今回、テクニック偏向の細過ぎる蕎麦を反省し、適正な太さで切ることを目標とすることにした。とりあえず、王道とも言うべき1.3ミリに狙いを定めた。

 それが、実際は簡単でない。まず1.3ミリという切り巾を、数値で確認することが難しい。切った蕎麦をノギスで計っても、麺は軟らかい物だから、正確な測定は難しい。それに、作業中にいちいちノギスで計るというのは現実的でない。いろいろ試した挙句、蕎麦を切る際に、折りたたんだ生地の向こう側に自作のスケールを置き、10回切ったら13ミリ、20回切ったら26ミリと言う具合に、包丁の進み方で確認することにした。切っている間に生地が動いてしまっては、正しい計測ができないから、それもチェックできるようにした。

 そんな道具立てでやってみても、実際はなかなか上手く行かない。これまで細い巾(たぶん1.1ミリくらい)で切ってきた癖が付いているので、均一に1.3ミリで切るリズムが掴めない。人の手の感覚で、0.2ミリの違いなどを切り分けることは、突然やれと言われても無理な事なのである。しかも、スケールを見ながら切ると、包丁を持つ手の動きがぎこちなくなり、切り巾が乱れる。

 どんどん練習をしたいと思っても、出来た蕎麦を食べ終わらなければ次が打てないから、チャンスが訪れるのはせいぜい一週間に一度。そんなペースでは、なかなか一度付いた癖を直す事はできない。

 11月の中旬になって、新蕎麦に切り替わる時期となった。昨年の蕎麦粉を使ってしまおうという事で、週に数回蕎麦を打つ機会があった。短期間に集中して作業を行ったので、ある程度新しいやり方に慣れることができたように思う。

 この年末は、「切りべら23本」で揃えた年越し蕎麦を食べられそうである。




ーーー12/9−−−  ちょっと心配した腹痛


 
11月下旬のある日のこと、朝目が醒めたら、腹部が痛かった。いわゆる腹痛、大腸の辺りが痛くて下すようなもの、には慣れているが、今回はそれとは違った痛みだった。おへそとみぞおちの間くらいの場所が、シクシクと痛かったのである。

 即座に頭に浮かんだのは、胃の異常。別に根拠は無く、過去の例も無いのだが、酒の飲み過ぎで胃が傷んでいるのは、容易に想定されることである。次に思い付いたのが、逆流性食道炎。胃液が逆流して、食道に炎症が生じるものである。これは10年以上前に、胃カメラで確認された事があった。しかし大したことはなく、症状も出ずに、その後の健康診断の胃カメラでは、ほぼ完全に治癒していると言われた。それを何故思い出したかと言えば、カミさんが現在その逆流性食道炎を軽く患っていて、時々口にするからである。

 痛みが出たのは木曜日の朝。その後一日中痛みが出たり引っ込んだりし、加えてちょっと悪寒がしたりして、体調は悪かった。夜になって一回だけ、腹痛を伴わない下痢をした。

 翌日も、波のように痛みが繰り返した。朝寝ている時も、痛かった。激しい痛みでは無かったが、硬い物がつっかえたような感じだった。このような不調は経験した事が無い。それで、医者に診て貰う事が頭に浮かんだ。たまたま翌週の月曜日に、昨年やった骨折の経過観察のために、市内の総合病院の整形外科に予約を入れてあった。そのついでに、内科に寄ろうと考えた。

 三日目の土曜日の昼ころ、一時的に痛みがひどくなった。この状態では、月曜日までもつかなと思った。この時が、一番症状が深刻だった。それでも、しばらくすると痛みは和らいだ。このように、はっきりとしない状況が続いたが、食欲はあり、食べる量もいつもと同じで問題無かった。空腹時に痛いとか、満腹時に痛いなどの偏った傾向も無かった。カミさんが、逆流性食道炎なら、寝る時は左側を下にした方が良いと言ったので、そうしたら痛みが少なくなるように感じた。

 一月ほど前から、夜中にトイレに起きた時に、ぬるま湯をコップに一杯飲むようにしてきた。起床までに複数回起きたら、その都度飲むのである。何故そのような事を始めたかと言えば、就寝時の水分を補給した方が良いと、思い込んだからである。しかし、ちょっと気になってネットで調べてみたら、水を飲んで寝ると、胃が圧迫されて逆流し易くなるという記事があった。それで、飲むのは止めにした。

 日曜日になると、だいぶ症状は軽くなってきた。いつもと同じように教会へ行き、礼拝の後は聖歌隊の練習をした。礼拝の最中に、時折ちょっと腹痛、と言うか違和感程度のもの、を感じたが、そんなのは普段でも有ったような気がした。症状はほとんど消えていたが、何か悪い病気の前触れが、今回現れたのではないかという不安は残った。死に至るような病でも、最初はほんのささいな事から始まるのだろうと。 

 さて、月曜日になった。穂高病院へ行き、総合受付で整形外科の予約票を提出した。予約は9時15分である。内科の診察も頼んだら、整形外科が終わってから内科に回るように言われた。

 整形外科は、5分も待たないうちに声が掛かり、トータル10分ほどで終了した。予想外に短時間で済み、気を良くした。それから、ちょうど向かいの内科に診察票を出した。待合室は満員で、座る場所が無いほどだった。1時間程度待たされるのは覚悟をしていたが、そんなものでは済まなかった。

 1時間半が過ぎた頃、ようやく看護師さんが現れて、問診票を渡された。それを書いて提出してから、さらに30分待たされて、今度はCTを撮ってくるように指示された。CTの科でも30分ほど待たされた。その頃には、昼食の入った手提げや魔法瓶を持った病院スタッフが、廊下を行き来するようになった。CTの撮影が終わって内科に戻り、また待たされ、最終的に診察室に入ったのは、1時少し前だった。

 ドクターは、CTの画像を見ながら説明をしてくれた。膵臓や胃、腸などの臓器に異常は認められないとの事だった。この手の症状では、膵臓の疾患が心配なのだが、それが無くて良かったですねと言った。それを聞いて、私は気が抜けるほど安堵した。

 結論として、なんらかの食あたりのようなもので消化器が炎症を起こし、その原因となった物が下がって排出され、現在は炎症が治癒しつつある状態だという事だった。言われてみれば、痛みや違和感はだいぶ治まってきていて、その日はほとんど出ていなかった。私は、「そのような事だと聞いて、本当に安心しました」と礼を述べた。

 これまで経験した事が無いほど待たされた日だったが、良い結末を迎えて嬉しかった。それにしても、病院内の待合室で過ごした4時間ほどの間、他の患者さんや、ご高齢の方々を多く目にした。それが、自分の健康を見直す良い機会になったと思う。




ーーー12/16−−−  手抜きのカード会社


 
月に一回、カミさんが通帳のチェックをする。先日、11月の分を行なったのだが、身に覚えがない支出があった。カード会社のS社の名義で、2200円が支出されていた。

 カミさんは、私がネット通販で何かを買って、支払った金だろうと言った。思い当る物は無かったが、忘れているかも知れないから、一応調べてみた。領収書をはもとより、その時分の日記、ブログ、メールなどを調べた。そういうもので思い出せたケースが、過去にはあった。しかし今回は、何処を調べても、心当たりは無かった。

 通帳と睨めっこをしていたら、ある事に気が付いた。支払金額の欄に「自払」と記されていたのである。何かを買って支払ったのだったら、「振込」となっているはずだ。「自払」とは何か、ネットで調べたら、自動引き落としのことだった。公共料金やクレジットカード代金などを、毎月決まった日に自分の口座から自動で引き落として、サービス提供会社に支払う方法である。しかし私は、S社とはそのような契約をしていない。これはなりすまし詐欺ではあるまいか。

 そんな事を考えながらも、いつも通り仕事をしていたら、しばらくしてカミさんがやってきて、「あらごめんなさい、わたしだったわ」と言った。10年ほど前に、S社の系列の地元のスーパーでカードを作り、引き落とし先をくだんの通帳の口座にしたと言うのである。作ったものの、ほとんど使わなかったカードなので、カミさんも忘れていたとのこと。それで、S社のサイトを調べてみたら、昨年6月から、一年間利用がない場合は、サービス手数料を取るようになった。それが自払で引き落とされていたのである。

 カミさんは早速、ネットでカードの解約手続きをし、念のためS社に電話をして確認をした。その際に、サービス手数料の事についてもクレームをしたそうな。そんな話は聞いていないと。すると相手は、メールで通知をしたと答え、メールは送信済みになっているから、届いているはずだと。カミさんは、何年も前に登録したメールで、今は使っていない。そういう重要な事は、書面で送るべきではないかと食い下がった。そうしたら、しばらく待たされた後、「例外的に、払い戻しします」との回答を得、決着を見た。

 世間的に名の知れたカード会社だが、ずいぶんいい加減なものだと思う。まず、本人の承諾を得ずに、料金を引き落とす。ありえない事だ。また、メールを一方的に送り付けただけで、連絡がついたと見做す。これも早計だ。

 社会のIT化はどんどん進行しているが、このような手抜きが横行するようになると、困ったものである。